宇野千代「文章を書くコツ」

私は固く信じているが、人の中には、駄目な人は一人もいないものである。人と人との相違は、その人が自分の好い芽をひらかせるような気でいるか、或いは摘みとって了うような気でいるか、その違いである。誰にでも、その人の持っている芽、と言うものがある。その芽を太陽のよく当たるところへ出して、ときどき水をやり、肥やしもやっているか、或いはそこら中へおっぽり出して、まるで構わないでいるかで、勝負は決まる。

芽は手当て次第でどんどん伸びる。伸びない、などとは夢にも思ってはならない。伸びる、伸びる、どんどん伸びる、人に笑われても構わない。そう信じて書く人は書ける。私の一番嫌いな人は、「あたし、駄目なんです。生れつき、文章なんて書けないんです。」と言う人である。なぜ、あなたは駄目なんですか。ひょっとしたら、そんなことを言ってる人自身も、ほんとうには自分が駄目だなぞとは、思ってはいないのかも知れない。ただ、人前を作って、そう言っているだけなのかも知れない。それだのに、これは恐しいことであるが、つい、今しがた、その気もなくて言って了った自分の言葉の、「あたし、駄目なんです。生れつき、文章なんて書けないんです。」と言った自分の言葉が自分の耳に反射して、ほんとうに、自分のことを自分で駄目だと思うようになるのではないだろうか。嘘にでも冗談にでも、自分は駄目だなぞと言ってはならない。自分は書ける、とそう言い切ることである。その言葉の反射によって、自分でも思わず、自分は書ける、と思い込むようになる。謙遜は美徳ではなくて悪徳である。

もし、あなたに友だちがあって、「駄目ねえ。あなたは文章を書くのが苦手なのよね、」などと言う人があったら、そう言う人の前から、あなたは飛びのくことである。嘘にでも冗談にでも、「あなたは素敵ねえ、こんなに巧く書けるなんて、」と言う人のそばへ、へばりつくことである。人生のことは凡て、言葉の暗示である。誰でも、人にほめられると嬉しい。何故か。自分は書けない、と思うよりも、書ける、と思う方が気持が好いからである。それが自然だからである。伸びるのが自然だからである。

でも、しかし、他人の言葉の暗示によって、自分の好い芽に養分をやる方法は、二義的である。出来ることなら、他人の言葉の暗示よりも何よりも、自分自身が自分に与える暗示によって、芽を伸ばして行きたいものである。自分は書ける。そう思い込む、その思い込み方の強さは、そのまま、端的に、自分の芽を伸ばすからである。

言いかえるとそれは、自信がある、と言う状態のことだからである。私は書ける。そう信じ込んでいる状態のことだからである。何が強いと言って、書ける、と思い込むより強いことはないからである。

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