140601
4月から所属している帝京大学は、学生に積極的に読書をすすめている。その取り組みを知って、本の紹介を演習内やこのブログ内で積極的にすすめていこうと思っていた(更新は滞りがちですが・・・)。同時に、「何故本を読んだ方が良いのか」についても書いた方がいいと考えていたところ、ちょうどいい神谷さんの文章に行き当たったので、紹介しようと思う。この本は、『生きがいについて』という著書もある筆者による、生きることの空しさを回避するための人生論。引用は、そのなかの自発性や主体性について書かれていた章からの抜粋。

一生のあいだ、主体性をもって生きたいならば、ひとりでいる時間を「上手に」使う方法を、若い時から身につけておくこともたいせつだと思う。病気や特殊な境遇や老年など、人間が孤独を強いられるときも少なくないはずである。この頃の人はグループ活動あうまくなったが、ひとりでいる時間を充実させる術はどうであろうか。人間の精神というものは、少なくともある範囲内では、孤独や暇な時間を生きいきした内容で、ぎっしりとつまったものにすることができるはずである。

たとえば、過程の人でももし読書の習慣が身についていたならば、いながらにして心は世界をかけめぐることができる。精神の成長をつづけることができる。小さな「現実」にがんじがらめにならないでも済む。そのためには、学生時代のように、活きあたりばったりの乱読よりも、むしろ何かの題目についての系統だった読書のつみかさねがよいだろう。そうすれば、もっと暇と自由ができたときに、それが何かのかたちでプロの道への通じることだって、あるかも知れない。また、たとえ家事や育児の合間でも、ものを書きためること、何かをつくることなど、何でもいいから、他人の存在やテレビばかりにたよらずに、自分ひとりでもゆたかな時間が持てるようになれば、それだけでもある程度まで環境から独立できるのではないだろうか。これは女性だけの問題ではない。すべて人間は根源的に孤独であることを思えば、孤独や余暇にプラスの意味を与えるかマイナスの意味を与えるかは、あらゆる人間の対処すべき根本問題であると思う。

主体的に生きる、ということはしかし、ただ気ままに生きるということではない。たとえば、自ら進んで身を挺して何かに仕えることなどは主体的な行動のうちでも、もっとも主体的なものだといえる。いずれにせよ、主体性と自由には、つねに責任と何がしかの冒険が伴う。しかし、あえて責任を負い、冒険にのりだすことこそ、新鮮な生きるよろこびを約束してくれるのではないだろうか。


ここで触れられているとおり、「人間は根源的には孤独である」ことを見つめ直して、その中で自分がどのように生きるかを考えるとき、「いながらにして心は世界をかけめぐることができる」読書はその人生を豊かにしてくれるのではないかと思う。もちろん、読書の理由はそれだけに収まらないだろうけれど。

2014年06月1日    book&music

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA