隣の席の大学生カップルが、面接官の役割を女の子が担当して就職活動の練習をしている。「社会学部で何を勉強しまして来ましたか?」など、いかにも聞かれそうな質問に対して、男の子はいかにも準備をしてきた回答をする。どのような質問に対しても、しっかり準備している。ちゃんと準備してきた答えを間違えずに言えているという点で評価できるのかもしれないけど、それ以外にとっかかりになりそうな部分が見つからず、こういう受け答えを何十も繰り返さないといけない企業の面接担当の方々に同情してしまう。

一通り練習が終わった後、男の子は女の子に「どうだった?」と講評を求めると、女の子は「準備していた答えを、暗記していないようにみせようと話していた」と指摘する。その答えを聞いた男の子は拗ねて黙ってしまった。男の子は、女の子に自信をつけてもらいたかったんだろうな。女の子は女の子で、彼を直接傷つけないように、若干婉曲的に「答えを暗記して面接しても印象はよくない」ことを伝えようとしたんだろうな。おじさんしみじみ。

黙って落ち込んでいる男の子の手を女の子は黙って握っている。この話、男の子にいいところがないのだけど、そんな彼のことを好きで一緒にいる女の子の気持ちに彼の魅力のヒントが隠されていて、その掛け替えのなさに男の子が気が付いて自分の言葉をつかって面接の場で表現できたら、きっと面接は成功するんじゃないだろうか。とはいえ、この男の子は大学時代の俺だよなと、おじさんは彼らが帰った後もしみじみするのでした。

2016年03月2日    diary

中学校時代、中間テストでよい点数をとると期末テストで悪い点をとり、中間テストで悪い点をとると期末テストでよい点をとった。なぜそうなるのかは心当たりがあった。最初によい点をとると気持ちがゆるむので次に失敗する。でも、同時に臆病でもあるので失敗すると不安になって勉強を始めるのだ。その傾向は高校に入っても大学に入ってもかわらなかった。大学で一度、中間テストで0点をとり、期末テストで100点をとったことがある(当時は50点でも可がもらえた)。

今もその傾向が続いている。昨年度、水曜日の僕の講義を3限4限を連続で受講された方は気づいたかもしれないけど、3限の入門ミクロ経済学でうまくいったときは4限の入門マクロ経済学で失敗し、3限で失敗した時には4限がスムースに講義を進められた。昨日田端で発表した自分の研究は、昨年同じものを話した時には失敗(時間調整がおかしく、早口で、何もかもを盛り込もうとして大混乱だった)したもので、今回は挽回できた(ような気になっているだけのような気がする)。

かといって、このバラツキを修正しようとはあまり考えていなくて、「うまくいって、うまくいかない。うまくいかなくて、うまくいく」が一つのバランスのように感じているからたちが悪い。失敗したほうの話を聞くことになる方には申し訳ないけれど。

160219 田端は新幹線が見れるので子供を連れてきたらいいなと思うけど、ほかに何をするか見当がつかない。

2016年02月20日    diary, etc

試験を終えてから1週間以内に採点を終わらせないといけません。そのあとに追試験の答案が追加されて、今年は合計998枚の答案に丸付けをしました。これは、何年か続けている大学の講義で最多記録です。なんの自慢にもなりませんが。

でも、昨年よりも一昨年よりも採点はたのしかったです。理由は2つ。1つはすでに顔と名前を一致させることができる学生が多く受講していたこと。去年のライフデザイン演習、演習、今年の基礎演習、演習。彼(女)らがどのような答案を作るのか、楽しみに採点をしました(普段の講義の時間も、知っている学生がいることには強く勇気づけられておりました)。もう1つは、回答の最後に書いてもらったコメントを読むこと。コメントは大きく3種類に分けられました。講義の内容を褒めてくれるもの、問題点を指摘するもの、そして思い出を話してくれるもの(かっぱえびせんを食べている姿とか)。コメントのいくつかを後期の初回に紹介することでイントロダクションにしたいと考えています。

ごく稀ですが、「講義をがんばってください」と書いてくれている学生がいました。赤ペンをとめてその文面を読み返したのは、「頑張れ」という励ましに「頑張ろう」と本当に思ったことが初めてだったからかもしれません。たった一回のテストの一言かもしれないけど、そこで書かれていた言葉の効力は、将来の僕まで響くような気がします。ちょっとやそっとのことではへこたれられないな、と思ったのでした。

試験勉強をしっかりやった人も適当に臨んだ人も、自信のある人もない人も、お疲れさまでした。よい夏休みをお過ごしください。僕は、子供と遊びつつ、つかの間の研究生活に戻っております(今日は『マッドマックス』を観にいって頭がグワングワンしていますが…)。

2015年08月13日    diary, lecture



土曜日、アイスコーヒー飲みながら来週の準備。講義が少しずつ難しくなっていくので、それを感じさせないよう注意をしながら。

2015年04月18日    diary

まだ身体が新学期のリズムになれておらず、少し熱っぽく、身体がだるい状態が続いています(そして何より、眠い)。金曜日は帝京大学の研究室にはおらず、学習院大学に出講しています。講義が終わり、山手線に乗り、椅子に座った瞬間に記憶が飛んで眠りこけてしまいました。

ハッと気づいて目を開けると車窓の向こうに新幹線が。「すわ子供のお土産よ」と、焦ってiPhoneを取り出して写真をったのですが、見事に美しい手すりの写真が…。

150417

2015年04月17日    diary

今日は、新入生ガイダンスで約1時間半お話しさせて頂きました。今の自分自身のポジションの出発点が、18年前の入学ガイダンスで聞いた言葉にあるので、そのことを意識し(すぎ)た話になったかと思います。いつも通り、テンションが空回りして変わりにくかったかもしれませんが、丁寧に話を聞いてくれた新一年生に感謝です。本日の資料は「物置」においてありますので、関心のある方はどうぞ。

充実した大学での生活を送れることを願っています。

2015年04月2日    diary, lecture

2014年の講義も終了し(追試験を受ける皆さん、頑張ってください)、心にぽっかりと穴があいた気分です。週に8コマ講義がある生活は常にうっすらと緊張をしていて、何をするにしても講義のことをどこかで考えていた気がします。でも、今はそれが抜けてしまいました。

大学の教員は、この抜けている穴に研究を詰め込みます(すべての人がパンパンのソーセージみたいになるわけではないけれど)。今年の春は、3月に報告する論文(製品転換に関する論文と、デザインに関する論文)、書き直さないといけない副業の論文、書かねばならない研究計画書、そして、掲載が決まっている論文の校正などがあります。

2015年度に担当する科目は、シラバスが発表されたら掲載しようと思います。2014年度はホームページを活用できていなかったので、2015年はぜひ利用したい。個人的に、講義は大教室であれ演習形式であれ、学生と教員の対話がベースだと思っているので、それが実際に成り立つ場所として、ホームページを使えればと考えています。来年度が始まるまでは、物置きのコーナーに置いていた講義資料などはいったん削除します。

まだ見ぬ受講者の皆さん、いずれまた。2014年度のみなさん、大学のどこかや社会で会うのを楽しみにしています。

2015年02月6日    diary, lecture